ムスメに「おかあさんは大きくなったら何になるの?」と聞かれた事があって、何も考えず「おばあちゃんになるんだよ」と答えたら「そうじゃなくて〜」とガッカリされました。だけど、ムスメより先に、そんな事言った自分にガッカリしちゃったのです。
考えてみたら「でんでん虫になる(by二女)」なんていう空想的な夢じゃなくても、ついこないだまでは「○年後にはこうしている!」っていうキャリアプランみたいなものがあったハズなのに、自分の限界や現実のようなものを受け入れ、軌道修正するたびに、少しずつ、少しずつ、何かがしぼんでしまったように思う。
何度も修正されるそれは、遠い未来を夢見るよりも、もっと目の前の現実を笑顔で過ごすために必要な事でもあったけど、何かに向かって進んで行くにはしんど過ぎて考えなくなってしまっただけなのかもしれない。
こうでありたい自分像と、完璧を求められる母親像。
ものすごく行き詰まっていた時、ある尊敬する方に彼の転機でもあった『会社を辞めた時』キャリアビジョンがあったのか?というような事を聞いたら大笑いされ、「ただその場から逃げ出したかっただけ。その後の事なんて全然考えていなかった。」とあっけらかんと言われました。
それを聞いて、妙に安心し、力が抜けた気がする。
そんな彼は、独立し、仕事人としても成功し、魅力的な人でありつづける。
将来設計とかキャリアビジョンとか、それはあればいいのかもしれないけど、今を一生懸命生きる事が、気がついたら大きな自分になっている。そういう生き方をすればいいかなと思えた瞬間でもあった。
その日から、目の前を、毎日を、後悔なく生きる事に考えを変えました。
大きくなったら何になってるか、私にも分からないけど、楽しみにしててね。
どんな自分になったとしても胸を張って生きている、それが今の目標。