魔の2歳児と対処法
2012.05.21 Monday

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2歳前から始まった三女のイヤイヤ期。面白いくらいに王道をいってます。
一番最初に覚えた言葉が「やーだー」じゃないかと思うくらいシッカリハッキリ「や〜だ〜」と主張する三女。一日何十回その言葉を聞いていることやら。立派です。

パターン1:
なんでも拒否してとにかくいやいや。
靴下を履いて→いやいや
これ食べて→いやいや

うちの対処法:
じゃあ、おかあさん、履こうかな〜。これすっごいカワイイ〜。
と、無理矢理くつしたを履こうとしたり、嫌がっている物を食べようとする。
すると、ダメ〜!→じゃあ食べる?→モグモグ
という上島竜兵式。成功率ほぼ100%。

パターン2:
自分の思い通りにいかないと泣き出し、最終的には道端にひっくり返る。
外でこれやられると参るのよね。人目が気になってついつい甘い物で釣りたくもなったり。

うちの対処法:
とにかく、なだめよう、連れて行こうとすると逆効果。近づくだけで怒り出すんだからもう手に負えません。
できるだけ泣かせてあげる。気が済むまで泣かせてあげる。で、泣きのピークを超えたかなって思った時に近づいて、なんとなく違う話で気をそらし、前に進ませる。
耐久戦よね。根負けして要求を飲んだら終わり。泣けばなんとかなると思わせるのは避けたい。

とはいえ、いつまでも泣かせてあげられるような状況じゃない時もあるし、ごめん!と無理矢理連れて帰る事だったあるし、その場その場で切り抜けるしかないよね。

いつまでも続くわけじゃないと分かっていれば、そんな時もカワイイと思えるもの。
上の成長を見ていれば分かる事もあるもので、こんな時期も最高にかわいいのです。

そして三番目だからか何でも早い。
2歳を前にして保育園でのエプロンと布おむつを卒業。ごはんはこぼさず完食するし、トレパンになっても成功率は90%は超えてます。うちではほとんど何もしていないので、保育園さまさま。

何でも個人差あるものだなーと、3人いると良く分かる。
同じ親から産まれても全然違う。
できるも出来ないも個性だから良い悪いじゃないんだよね。

みんなちがって、みんないい〜♪

小学1年生&3歳児と一緒にトレッキング
2012.05.17 Thursday

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今年の山形帰省では、ちょっとトレッキングでもしようと蔵王山頂での山歩きを予定していました。
ところがGWはあいにくの豪雨。最終日に晴れ間が見えたので、ロープウェイで上ってみるも、山頂付近は霧と雪でとても子連れで歩けるような状態ではありませんでした。
蔵王トレッキングは、ほとんど見えないロープウェイで上り山頂のレストランで食事をして帰ってくる、という、なんとも悲しい結果に終わりましたが、無理は禁物。

予定を変更して、近くの千歳山へ。
標高500mくらいの山ですが、急勾配でおチビちゃんと一緒に登るには結構大変。三女は夫が前に抱き(後ろにはリュック)、こちらもかなり大変そう。

小学1年生の長女は従兄弟の5年生と一緒にひょいひょいと登っていきました。ペットボトル2本入って結構重かったリュックを背負うも、普段の重いランドセルで鍛えれているからか、信じられない身のこなしで登っていくのです。
小学生になってまた急に成長したみたい。

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私は3歳の二女と最後尾を行ったのですが、大きなリュックを背に自分の背丈の半分以上あるような場所を頑張って登っていく二女に驚きました。

リュック持つよ? 休もうか?

と何度も声をかけても首を横に振り、もくもくとマイペースで登っていく様子に、根性あるな〜と感心したものです。
途中ですれ違う人、追い越して行く人、みんながかけてくれる「上まで行くの〜!?」「ここまで登ってきたの?」「すごいね〜!!」の賞賛の声が彼女のエネルギーになっていたのかな。

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たっぷり一時間以上かけて登り、上で少し休憩して下山。
帰りは2歳になったばかりの三女まで、夫に手を引かれ歩いて降りました。怖いもの知らずの2歳児は危険すぎる。ニコニコ顔でどんどん責めていくので危ない危ない。。

無事下山して、玉こんちゃくを食べ、蔵王ロープウェイの麓まで引き返し日帰り温泉新左衛門の湯につかって終了。終わってみれば良い一日でした。

山頂ではなだらかなハイキングコースを行く予定だったので、千歳山に変更してかえってハードなトレッキングになったような気もするが、、良い経験になりました。

子連れでも結構行けるものだなーとも思ったし、子ども達もそれを嫌がるタイプでもないという事も分かったし、少しずつこういう機会を増やしていきたいな。

母の日よりも大切な毎日
2012.05.13 Sunday

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母の日といっても特別な事もない我が家。事前に保育園でつくった「いつもありがとう」な制作手紙をもらっているので、なんとなくそれでおしまい。

出かけた公園で「これ、母の日のお花」といって摘んだ花をもらって、夕飯は夫が全て用意してくれて(母の日に限らずやってくれるので特別感はなかったけど)、ちょっぴり母の日気分を味わいました。

こういう『用意された日』に、世間の流れで一斉に「感謝を伝える」とかっていうのに妙な抵抗があったりするひねくれ者な私は、このくらいあっさりしたので十分。

一年分のありがとうを「まとめてギュッ」よりも、365日と言わないまでも、日々感謝を伝え合える関係でいられる事の方が嬉しい。

本当にありがとうと思った時、その瞬間に、ありがとう。

結局は自分の気持ちの持ちよう
2012.05.10 Thursday

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心とカラダは一体。カラダが弱ると心も弱る。
そんなで、ここ最近はちょっとした事にイライラしたり、妙に無気力だったり、やたら人の言動に過敏になったり。

「なんで降りる人を押しのけて先に乗り込もうとするのだろう」「なんで足を踏んで謝らないのだろう」そんな、いつもなら流せる事にいちいち腹を立て、無駄なエネルギーばかりを使っていたよう。
でもふと、私の行動も人から見れば「なんで」なのかもしれないと思ったら、妙にストンと納得、怒りがしぼんでいった。私にだって、そんな時、あるよ。

みんな、ただ、一生懸命なだけ。人の事も気にできないくらい必死に。そう思ったら、みんながんばってるな〜と、変にポジティブになったりして、人の些細な言動も気にならなくなった。いちいち目くじらを立てなくてもいいや。

ここでは出会う人が多すぎるから、出会う全ての人の人生をのぞくほど親身に付き合えないから、だから知らず知らず取捨選択している。ちょっと冷たいようだけど、時々そのくらいの空気が楽だと感じてしまう自分もいたりする。

もちろん、誰に対しても思いやりを持って接していける人は素晴らしいと思う。関わる全ての人に親身であたたかくて、やさしい気持ちになる。でも私はきっと、そういうの疲れちゃう。

だから、両手で持てるくらいの人と、大切な付き合いをしていけたら、それだけで十分かな。
ちょっと似てるかも、断捨離と。

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