次の電柱まで走る
2014.04.12 Saturday

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長女が「お母さんはどんな仕事をしているの?」と聞いてきた。誰々ちゃんのお母さんは看護婦さんなんだって、と話していた事があったので、友達同士でそういう話をしたりしているのかもしれない。

夫の職場には何度も通っているし、どんな事をしているのか早いうちから理解していたが、私の仕事は漠然として分かりづらかったかな。
小学3年生、もう少し踏み込んで、具体的にどんなものを作っているのかとか、そういうのを教えてもいいのかなと思い、「こういうことを考えて、こういう行程を踏んで、こういうものを作ったりしているんだよ。お客さんはどういう人達で、作ったものを使ってこういう事ができるんだよ。」と実物をみせながら簡単に説明した。

子ども達はわからないながらに「かわいい〜」「すごーい」と目を輝かせ、楽しそうだねと言い、うん、楽しいのだよと答える。そう、仕事は楽しいのだ。大人は楽しいのだ。苦しい時も少なくないけど、それを話すのはもう少し後でもいい。

時々、この仕事が一段落したらやめようかなーと思う波がやってきたりする(今じゃないけどね)。学校行事に参加して、子ども達の楽しい様子をみて、もっとその世界に触れたいと思ったり、日々の小さな変化を見逃しているんだろうなともったいなく思ったり。そうでなくても仕事がうまくいかなくて、自信をなくしたり落ち込んだりした時も、逃げみたいに。

だから唐突に「お母さん仕事やめようかなー」と口をついて出てしまう時がある。
ところが「え〜〜〜!やめない方がいいよー。」と家族全員から反対される。
「だってさ〜、そしたら毎日お家にいるんだよ〜、よくない?」と、賛同を得られそうな事を言ってみるのだけど、「ん〜、おかあさんは働いていた方がいいと思うよ。私も早くお仕事したいなー。」と、大人としてその気持ちを摘んではいけないような発言をされるので、そうかそうか、じゃあ頑張るよ、と消化する。

自分でも分かってるんだけどね、たぶん働いている方がいいのだろうと。
働くのが好きだと思われているし、実際この仕事好きだし、結局やめられないのだろうと。

あるマラソンランナーが「辛いとき、次の電柱まで走ったらやめよう、次の電柱まで来たら、またその次の電柱まで走ったらやめよう、と思いながら走っている」というような事を言ったのを思い出す。
この言葉が、昔よりもずっと好き。私も、次の電柱まで。



新年度が始まる
2014.04.06 Sunday


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芽吹きの季節。小さな我が家のベランダの風景も美しく、毎朝毎夕、真夜中まで、外に出ては草木の新芽を観察する日々です。朝と晩と、見るたびに様子を変え、茶色い枯れ木から鮮やかな緑色がはち切れんばかり吹き出し、ぐんぐん伸びていく様子は希望に満ちている。

ちょっと前に全盛期を迎えたジャスミンは独特の芳香を放ちながら、ハラハラと花を落とす。ジャスミンは濃ピンクの蕾から白い花が咲くドラマッチなところがスキで、その狭間の季節にドキドキする。でもそれもそろそろ終わり。

東南にある寝室には朝日が差し込み、毎朝起きるのがとてもラクになってきました。
植物を育てるようになってから、陽がのぼる位置や時間を自然と意識するようになり、植物とともに規則正しいリズムになってきた気がします。容疑者Xの献身で「人間は時計をはずすとかえって規則正しくなる」と言っていたが、分かる気がするなぁ。

長女は4月から3年生、初めてのクラス替えにドキドキしている様子。好きな男の子と一緒になれるかなーなんて、私もそんな風に思っていたのか、記憶を辿っても思い出せない。繊細な心を持って、気配りできる我が家の小さなお母さん。頼りになる一方、時々見せる寂しがりやな一面に危うさを感じ、実は一番目が離せない。

二女は保育園最後の年、年長さん。まだ年長さん?と思うほど、もう一年生かと錯覚するほど、なんだかしっかりしています。姉がいる事や、二女の個性で、ものおじしない逞しさを感じる。いつも笑顔で一人でもどんどん進んでいくタイプ、ついつい放っておいてしまうくらいに自立してます。どんな子になるのか将来が楽しみ。

三女は年少さん。みんなに愛され、甘やかされ、毎日を笑顔で過ごす方法を心得てる。彼女の目には楽しい事しか見えていないんじゃないかと。都合が悪くなると「まだ小さいから」と自分で言い訳するうまさ。夫はもう手練手管にメロメロで、気がつけばアレコレ世話をやいているし。「だまされてるぞ〜」と横目で見ながらも、同じ女性として見習うべきかと思ったり。

三者三様、それぞれの成長を感じる春。
私も別れと出会いの中、過ごしています。
良い事ばかりじゃないけれど、悪い事ばかりでもない。
考えすぎても良くなるとは限らないから、頭は使わず心清らかに過ごしたい。